「衝撃の結末」で話題になった映画あれこれ |
“衝撃の結末”とひと口にいっても、その種類にはさまざまある。たとえば、主人公がラストで死んでしまうなんていうのも衝撃の結末だし、思いもよらなかった事実が明かされ、「騙された!」となるのも衝撃の結末。あまりの素っ頓狂なオチに、「なんじゃ、こりゃあ」とボー然とするのも、ある意味、衝撃の結末といえる。 ここ10年ほどの間の作品で“衝撃の結末”の代表的なものを挙げるなら、やはり筆頭にくるのは、1995年製作の「ユージュアル・サスペクツ」だろう。とある埠頭で大爆発が起こり、忽然と消えた9100万ドルもの大金の行方と事件の真相を、生存者の証言から探ろうとする関税特別捜査官。最後の最後に明かされる“真犯人”の意外さとその騙しのテクニックは、まったくもって見事というほかなかった。 席から立ち上がれなくなるほどの衝撃を味わわされたこともある。「シックス・センス」(99)がそうだった。死者が見えてしまう少年と彼の治療に当たる精神科医。2人の交流の果てに訪れる結末では、それまでスクリーンの中で目にしてきたものすべてが否定された。それと同じ感覚を味わったのが、新しい使用人を雇い入れて以来、屋敷内で起こる奇妙な現象に怯える母子を描いたサスペンス・ホラー「アザーズ」(2001)だった。 しかし、そうした“衝撃の結末”を謳い映画ファンの興味をひこうとするのは、何も今に始まったことではない。68年製作の「猿の惑星」でチャールトン・ヘストン扮する主人公がラストで目にした光景は文字通り“衝撃的”で、観客である私たちも開いた口がふさがらなかった。 ほかにも、誕生日に弟から“参加型ゲーム”の招待状を贈られた兄がとんでもない体験をさせられる「ゲーム」(97)や、モーテルに閉じ込められた11人が次々と巻き込まれていく猟奇殺人事件と、死刑宣告を受けた殺人犯の再審理が最後の最後で1本につながる「アイデンティティー」(03)、密室に閉じ込められた2人の男のビックリ箱的結末が用意された「SAWソウ」(04)、ロバート・デニーロがダコタ・ファニング扮する娘の奇行に悩まされる父親を演じ、驚愕の真相に度肝抜かれる「ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ」(05)などなど、衝撃の結末が話題になった作品は、それこそ枚挙にいとまがない(のである)。 いずれにせよ観客はそのラストを目にすることで、再度映画を見直し、その伏線が潜んでいたことを確かめようとするわけだが、そうした点において「隠された記憶」ほど、繰り返し見ることに適した作品はない。なぜなら、それが本作の難点でもあるのだが、何が衝撃なのかがわからないという観客がおそらく大勢いるだろうから。しかし、決して理解不能ではない。だから、ぜひともそのシーンを根気強く探していただきたい。 |
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by kioku-jp
| 2006-04-19 21:05
| あなたが観た衝撃のラスト
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ミヒャエル・ハネケ論――彼が人道主義者といわれるゆえん |
ミヒャエル・ハネケは、時として人道主義者といわれる。しかし、いち映画ファンとして言わせてもらうなら、この人の作品には、見ている者に居心地の悪さを感じさせるものがある。もっと言うなら、不快感すらおぼえることがある。にもかかわらず人道主義者とは・・・。 「ピアニスト」では、恋愛経験のない中年女性のいびつな愛情表現と、彼女を愛しながらもそれを受け入れることのできない青年の葛藤を描き、「ファニーゲーム」では、いかにも礼儀正しそうな若者によって殺人ゲームに引きずり込まれるある一家の恐怖を描いた。 どちらの作品においても、じょじょにエスカレートしていく当事者たちの“行為”によって事件の渦中へ放り込まれた私たちは、いつしか登場人物たちと自分を同化させ、やがては人間が人間たるべき本質――欲望や理性、愛情、倫理観・・・そうしたものと向き合うことを余儀なくされた。 ハネケはまた、多民族社会における問題をも語りたがる。「71フラグメンツ」ではオーストリアで路上暮らしをするルーマニア難民の少年を、「コード アンノウン」ではフランスにおける東欧からの不法入国者やアフリカからの移民二世を登場させ、人種差別の現実を炙り出した。 そしてこの「隠された記憶」でも、フランス人とアルジェリア人を登場させることで両国の間に潜む微妙な関係を浮かび上がらせ、それはそのまま“衝撃のラストカット”へと繋がっていく。 しかし実際のところ、“衝撃の”という言葉は当たらないかもしれない。なぜなら、多くの観客は“それ”に気付かないだろうから。とりわけ、西欧の人間ほど民族意識が強くない日本人には。しかし明らかに“それ”は存在する。「何が衝撃的なのか?」と自問自答させることで、ハネケはまた、登場人物とはまったく無関係の私たちを当事者という立場に引きずり込むことに成功しているのだ。ミヒャエル・ハネケが人道主義者といわれるゆえんは、そのあたりにある。(マダムX:自称ミヒャエル・ハネケ プチ信奉者) |
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by kioku-jp
| 2006-04-19 21:04
| 監督ミヒャエル・ハネケを語る
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