ミヒャエル・ハネケ論――彼が人道主義者といわれるゆえん |
ミヒャエル・ハネケは、時として人道主義者といわれる。しかし、いち映画ファンとして言わせてもらうなら、この人の作品には、見ている者に居心地の悪さを感じさせるものがある。もっと言うなら、不快感すらおぼえることがある。にもかかわらず人道主義者とは・・・。 「ピアニスト」では、恋愛経験のない中年女性のいびつな愛情表現と、彼女を愛しながらもそれを受け入れることのできない青年の葛藤を描き、「ファニーゲーム」では、いかにも礼儀正しそうな若者によって殺人ゲームに引きずり込まれるある一家の恐怖を描いた。 どちらの作品においても、じょじょにエスカレートしていく当事者たちの“行為”によって事件の渦中へ放り込まれた私たちは、いつしか登場人物たちと自分を同化させ、やがては人間が人間たるべき本質――欲望や理性、愛情、倫理観・・・そうしたものと向き合うことを余儀なくされた。 ハネケはまた、多民族社会における問題をも語りたがる。「71フラグメンツ」ではオーストリアで路上暮らしをするルーマニア難民の少年を、「コード アンノウン」ではフランスにおける東欧からの不法入国者やアフリカからの移民二世を登場させ、人種差別の現実を炙り出した。 そしてこの「隠された記憶」でも、フランス人とアルジェリア人を登場させることで両国の間に潜む微妙な関係を浮かび上がらせ、それはそのまま“衝撃のラストカット”へと繋がっていく。 しかし実際のところ、“衝撃の”という言葉は当たらないかもしれない。なぜなら、多くの観客は“それ”に気付かないだろうから。とりわけ、西欧の人間ほど民族意識が強くない日本人には。しかし明らかに“それ”は存在する。「何が衝撃的なのか?」と自問自答させることで、ハネケはまた、登場人物とはまったく無関係の私たちを当事者という立場に引きずり込むことに成功しているのだ。ミヒャエル・ハネケが人道主義者といわれるゆえんは、そのあたりにある。(マダムX:自称ミヒャエル・ハネケ プチ信奉者) |
by kioku-jp
| 2006-04-19 21:04
| 監督ミヒャエル・ハネケを語る
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